私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。
『ハンチバック』市川沙央 26頁
はじめに
こんにちは、かみなり書房店長のたつです。
このブログでは市川沙央の名作『ハンチバック』を紹介します。このブログでは、市川沙央の作品の魅力を深く掘り下げ、読書の楽しさを共有します。
『ハンチバック』は、その美しい描写と深いテーマで多くの読者を魅了しています。まだ読んだことがない方も、再読を考えている方も、この機会にぜひ物語の世界に浸ってください。
あらすじ
先天性ミオパチーという筋力低下を伴う疾患を持つ女性、井沢釈華が主人公です。彼女はグループホームに住みながら、ティーンズラブ小説を書くウェブライターとして働いています。物語は、釈華の願望と苦悩を中心に展開されます。
彼女の最大の願いは、健常者と同じように妊娠して中絶することです。
この願いは、自分の存在意義や自己実現を達成したいという強い思いから来ています。ある時、彼女がSNSに投稿した内容がホームの職員に見つかり、大きな転機となります。
作品の背景と制作経緯
市川沙央は1979年生まれ、神奈川県出身の作家です。彼女は早稲田大学人間科学部eスクールを卒業し、筋疾患の先天性ミオパチーを患っています。これにより、電動車椅子を使用し、人工呼吸器も装着しています。
『ハンチバック』は市川のデビュー作であり、2023年に第169回芥川賞を受賞しました。この作品は、2023年4月に「文學界」5月号に発表され、同年6月に文藝春秋から出版されました。
作家のエピソード
市川は、大学在学中に障害者と同性愛者の表象について研究しており、その経験が『ハンチバック』の執筆に大きく影響しています。彼女はこの作品を「裏卒論」とも呼んでおり、学術的な研究と創作活動が密接に結びついています。
市川は過去20年間にわたり、小説を書き続け、数多くの文学賞に応募してきましたが、常に落選していました。その中で培われた経験と、障害者としての視点が『ハンチバック』に生かされています。
彼女自身もこの作品を通じて、社会の無理解や偏見に対する怒りと希望を表現しています。
深堀ポイント
健常者の無知と特権性の暴露
『ハンチバック』は、健常者が持つ無意識の特権性と無知を鋭く暴き出しています。物語を通じて、主人公の井沢釈華が日々直面する障害者としての現実が描かれ、それに対する社会の無理解が浮き彫りにされています。これは、読者に対して社会の構造的な不公平さを再認識させる重要なテーマです。
障害者の生と性の表現
作品では、障害者の生と性について深く掘り下げられています。釈華の願望である「妊娠して中絶する」という衝撃的なテーマを通じて、障害者の性的自己決定権や生殖権について問いかけます。これは、読者にとって非常に挑戦的なテーマであり、障害者が抱える複雑な問題を理解するためのきっかけとなります。
メタフィクションとしての構造
『ハンチバック』は高度なメタフィクションとしての構造を持っています。物語の終盤で語り手が変わり、現実とフィクションの境界が曖昧になる演出がなされています。特に、風俗嬢の紗花の視点が登場することで、物語全体に対する新たな解釈が可能となり、読者に深い読解を要求します。この複雑な構造が、作品をより一層魅力的にしています。
関連作品の紹介
『デッドライン』と『オーバーヒート』 by 千葉雅也
市川沙央が執筆に際して影響を受けた作品です。『デッドライン』と『オーバーヒート』は、性風俗と学問を行き来するテーマを持つ純文学作品で、現代社会の複雑な問題を鋭く描いています。これらの作品は、市川の創作において重要な参考資料となっています。
『凛として灯る』 by 荒井裕樹
この作品は、モナ・リザに赤いスプレーをかけようとして逮捕されたウーマン・リブ活動家であり、障害者でもあった米津知子の評伝です。『ハンチバック』の執筆時に市川が感銘を受けた作品で、障害者の視点から社会を鋭く批判する姿勢が共通しています。
『共食い』 by 田中慎弥
第148回芥川賞を受賞したこの作品は、暴力的でありながら繊細な心理描写を特徴とする物語です。主人公の家庭内での葛藤と性の問題を描いており、市川沙央の『ハンチバック』と同様に、現実の厳しさと人間の内面を深く掘り下げています。
おわりに
いかがでしたか?
市川沙央の『ハンチバック』は、障害者の視点から社会の問題を鋭く描き出した作品です。
『ハンチバック』を通じて、障害者としての生きづらさや社会の無理解、そして自己実現の難しさを体験することができます。市川沙央の作品は、その独特な視点と繊細な心理描写によって、多くの読者に衝撃を与えています。
以上、『ハンチバック』の紹介と市川沙央の他の作品についてでした。
読んでいただき、ありがとうございました。これからも素晴らしい読書体験をお楽しみください。